チャンゴー沖縄バージョン

ちーっす♪( ´▽`)
りかさん参上

ワタシの従兄弟が沖宮の大行列に参加するってーのでハロウィンカリビアン終わりの身体にムチ打って行って参りました(´Д` )

沖宮は琉球の神々を祀る沖縄の土地神としてユタさんや特別な方々に信仰されてきているので意外とウチナーンチュかわ知らないんだよねぇ!
でもね!
ここには芸術の神様がいるのでミュージシャンにはオススメなのよー♪( ´θ`)ノ
キューバのチャンゴーだね♪( ´▽`)

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福島ツアー

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こんにちわーユウイっす( ´ ▽ ` )ノ

先日の福島での学校公演の映像を編集中っす!
久之浜第一小学校、大野、熊町小学校での学校公演。
編集しながらいろいろな思いが出てきます。

11月1日に今回の報告会をします!
この映像を沢山の人に見てもらいです!
改めて映像を見て思うのは子供たちは元気だー!
映像で子供たちの元気な姿をみなさんに感じてほしいです!

みるべー三歳

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ちす
りかです♪( ´θ`)ノ

みるべそ誕生日にたくさん集まっていただきまことにグラシアスでございます!
新しくはいった仲間も一緒にお祝いできました!
ほんとに大切な仲間に囲まれてると実感するねぇ♪( ´θ`)ノ
ほんとに嬉しい!
いまグワンタナメラのソロ回し中!

今出来る事は?

久之浜第一小学校はいわき市の漁港の街だ。
福島原発からは30kmに入る地域とギリギリ入らない地域がある。
その地域ほとんどの学校は避難して、除染された後も学校に戻って来る生徒は10%程。しかし久之浜第一小学校の生徒は90%以上の生徒が戻って来たそうです。とは言ってもいわき市の大きさは沖縄本島よりも大きい!
各地に避難した生徒は片道2時間以上かけて登校する状況がありながらも何故
ほとんどの生徒が戻って来たのか?と松本校長に聞くと色々な話をしてくれた。
避難した学校での生徒が自分の学校で無いため、知らず識らずと遠慮し元々居る生徒が優先され生徒達から笑顔が無くなっていったと言う。
そんな村の人々と教員が元の学校に生徒を戻そうと自ら除染作業を行い
半年を掛け生徒が戻れる状況にされたそうです。一人の小学4年生の女子生徒が僕の所に走って来て言いました。裸足で遊んでるんだよ!校長いわく村で唯一遊べる場所が運動場だそう。
とにかく生徒が明るく凄いなーと思っていましたが、校長先生を始め仮設商店街(浜風商店街)の方々もライブに参加されてましたが、生徒以上に元気で明るい印象だ!なるほど!!この町の人々は元々明るく元気な町だったんだと思った。
だからこそ町の人々先生が協力でき半年と言うスピードで生徒はこの学校に皆戻って来たんだ。そんな学校が生徒達は好きで学校に行くのが楽しくてしょうがないのだ。個人的な事だが自分の学校生活は如何に学校を休むかを考えてたので
うらやましいと言うかすげ〜の一言!
生徒達にとって子供らしく思いっきり遊べるのは町でこの校庭だけだそうです。
忘れては行けないのは原発はら30kmちょっとしか離れていないし常に放射能
の恐怖がある事は基地問題普天間に住んでる子供の居る親達の気持ちと似た感覚がある。
演奏はもちろん盛り上がったと言うより盛り上がり過ぎた!!

翌日は双葉郡大熊町の熊町小学校と大野小学校。
この学校はまさに福島第一発電所がある地域の学校で市民全ての人々が警戒区域内なある為白虎隊で有名な会津若松に避難生活を余儀なくされている。
廃校学校を利用して教育方針の違う学校が1つ学校を協力し共存を図ってるのにはまずびっくりした。2人の校長先生と教育委員会の方が出迎えて頂きお話を聞きました。
まず原発問題の先の見えない不安と怒り!!
福島の人々は一軒家に住む事が多いらしい。
そんな大好きな土地を奪われもしかすると一生住めないかもしれないと言う現実。しかも仮設住宅はどんな家族でも4,5畳2間。最近は家族同士のトラブルが増えてるらしい。
親と子供と一緒に住んでる僕に取って想像するだけで恐ろしい。。
学校は2時には終わり2時半にはバスが来て仮設住宅に帰っていく。
帰った校庭校舎には子供の気配は一切ない。まさに廃校状態だ。
言いようが無いこの孤独感。でも必死に希望を持って笑顔で踊ってくれた生徒の事を考えると何が出来るんだろう?
復興の意味を考えさせられます。

夏休み期間中生徒達を沖縄の海で泳がせてあげたい。

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福島で感じた事

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世界の皆さんこんばんは
kikeです(^ω^)

あまりうまく言えないけど、福島で思った事を率直に書きますね

…やっぱり難しい(笑)

福島市、いわき市、会津若松、郡山市と演奏し、小学校では先生や児童と、サルサナイト等では同年代の福島県の皆さんや宮城県の方々と接した時、自分はとても「混乱」しました

福島へ行く前に自分が持っていたイメージ、知識…
と言っても、活字や写真、後は実際被災地に行った事のある方の話を聞いたのみですが…会って聞いたり話したりしてると、何か…未だに何か判らないけど混乱してました

普通の事が、普通に出来ない

こんな究極なストレスってあるだろうか

食べれない飲めない、落ちてる松ぼっくりやドングリを拾えない、校庭で遊べない、自分の家に帰れない、きっと以前は呼吸すらも制限されてたんじゃなかろうか

でも、大人も子供も会う人会う人笑顔で元気で

書きながら思い出して涙が出てきた
歳とったな

福島の、人間の何と力強い事か

只々、頭がさがります

ね、あまり意味判らない文でしょ(笑)でも多分、どんな天才でも活字や写真や映像では被災地を伝えられないですよ!

だから、皆さん
被災地、行った方が良いです

これ!一番の感想です!

ぜひ機会を作って、現地を歩いて、食べて、飲んで、お話しなさってみてください!

我々もまたきっと行きます

個人的な念願でもあった被災地ツアー、企画してくれたであろうたろーに志布子、共に演奏したメンバー、福島から同行してくれた横浜のカズさん、福島滞在をフルサポートして頂いた、宗像家の皆さん、今回のツアーに携わった全ての皆さんに大感謝祭開催中です!

本当にありがとうございました!

ちなみに
写真でたろーと話してる方は、いわき市の久之浜小学校校長です
自分は松本兄さんと呼ばせて頂きました(笑)この方、本っ当に最高な方なんです