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今出来る事は?

久之浜第一小学校はいわき市の漁港の街だ。
福島原発からは30kmに入る地域とギリギリ入らない地域がある。
その地域ほとんどの学校は避難して、除染された後も学校に戻って来る生徒は10%程。しかし久之浜第一小学校の生徒は90%以上の生徒が戻って来たそうです。とは言ってもいわき市の大きさは沖縄本島よりも大きい!
各地に避難した生徒は片道2時間以上かけて登校する状況がありながらも何故
ほとんどの生徒が戻って来たのか?と松本校長に聞くと色々な話をしてくれた。
避難した学校での生徒が自分の学校で無いため、知らず識らずと遠慮し元々居る生徒が優先され生徒達から笑顔が無くなっていったと言う。
そんな村の人々と教員が元の学校に生徒を戻そうと自ら除染作業を行い
半年を掛け生徒が戻れる状況にされたそうです。一人の小学4年生の女子生徒が僕の所に走って来て言いました。裸足で遊んでるんだよ!校長いわく村で唯一遊べる場所が運動場だそう。
とにかく生徒が明るく凄いなーと思っていましたが、校長先生を始め仮設商店街(浜風商店街)の方々もライブに参加されてましたが、生徒以上に元気で明るい印象だ!なるほど!!この町の人々は元々明るく元気な町だったんだと思った。
だからこそ町の人々先生が協力でき半年と言うスピードで生徒はこの学校に皆戻って来たんだ。そんな学校が生徒達は好きで学校に行くのが楽しくてしょうがないのだ。個人的な事だが自分の学校生活は如何に学校を休むかを考えてたので
うらやましいと言うかすげ〜の一言!
生徒達にとって子供らしく思いっきり遊べるのは町でこの校庭だけだそうです。
忘れては行けないのは原発はら30kmちょっとしか離れていないし常に放射能
の恐怖がある事は基地問題普天間に住んでる子供の居る親達の気持ちと似た感覚がある。
演奏はもちろん盛り上がったと言うより盛り上がり過ぎた!!

翌日は双葉郡大熊町の熊町小学校と大野小学校。
この学校はまさに福島第一発電所がある地域の学校で市民全ての人々が警戒区域内なある為白虎隊で有名な会津若松に避難生活を余儀なくされている。
廃校学校を利用して教育方針の違う学校が1つ学校を協力し共存を図ってるのにはまずびっくりした。2人の校長先生と教育委員会の方が出迎えて頂きお話を聞きました。
まず原発問題の先の見えない不安と怒り!!
福島の人々は一軒家に住む事が多いらしい。
そんな大好きな土地を奪われもしかすると一生住めないかもしれないと言う現実。しかも仮設住宅はどんな家族でも4,5畳2間。最近は家族同士のトラブルが増えてるらしい。
親と子供と一緒に住んでる僕に取って想像するだけで恐ろしい。。
学校は2時には終わり2時半にはバスが来て仮設住宅に帰っていく。
帰った校庭校舎には子供の気配は一切ない。まさに廃校状態だ。
言いようが無いこの孤独感。でも必死に希望を持って笑顔で踊ってくれた生徒の事を考えると何が出来るんだろう?
復興の意味を考えさせられます。

夏休み期間中生徒達を沖縄の海で泳がせてあげたい。

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